猛虎 咆哮ゆ

2017/09/18

http://bkoshi.exblog.jp//第一部 虎之助がゆく

時(背景)は戦国時代である。

下克上がはびこり、名ある守護大名は攻め亡ぼされ或いは家臣に乗っ取られ、戦国大名が群雄割拠する時代であった。足利幕府の権威は地に堕ち将軍家とは名ばかりとなり、三管領四職は職務を全うしえず有名無実と化していた。一方では種子島という海外からの交流産物が齎され城郭の変革も進み農耕技術の進歩を含め新しい夜明けが到来しつつあった。そのころ、日の本六十余州の一隅に稀代の英傑が産声をあげた。

その英傑の傍らに、過去の秩序に縋って生きようとしていた若者が登場した。

そして、そこには思いもかけない人跡未踏の地が拓かれていたのである。

今、若者が驚愕しつつ目覚めていく。まさに獅子奮迅の疾走そのものであった。

しかし、作者は歴史家でもなく小説家でもなく心情の流れに沿い筆を進める。

 

今朝は早くから母は忙しげであり、はしゃいでいるようにも見える。

このような母をみるのは、虎之助のこれまでの記憶にはない。

今日は大層な出世をした縁者に会えるのだそうだ。

しかし、この縁者は継父と合わず姉と共に家出同然に逐電していたそうである。

弟は香具師・野盗に入り混じっての生業に明け暮れていると聞いていた。

姉の方は後妻に入り、貧しいながらも健気な生活をおくっているそうである。

夫婦ともに再婚であった。顔容は揃って並以下であったが性根はどちらも良かった。

姉は寡黙であり醜女であった。弟は小柄で姉に劣らぬ貧相な容貌だと聞いた。

しかし、弟は生業にはなかなか長けて能弁だったそうである。

この弟は継父を嫌い、父とよばなかった。継父も嫌った。姉夫婦とは波風が無かった。

どこで手に入れたか定かではないが、時折 馳走を姉夫婦に振舞った。

馳走を頬張りながら、この弟の天性であろう楽天さを共にしていた。

無心にもきたようである。しかし、剽軽で全てが底抜けに明るかった。

義兄は格別の才覚を持ち合わせず、角を立てようともしなかった。

夫婦ともに淡々としていた。この夫婦の前では縁者は異色の存在に見えた。

だが、この弟の生業も夫婦に波風を立てなかった。姉弟の間柄は良好といえた。

後には城持ちになり、また国最高位の貴婦人に取立てられるとはこの夫婦には夢にすら

浮かばぬことであった。加えて言えば、並の人以上にこのような大それた絵空事

を思い描くには程遠かった。この夫婦には、日々の暮らしのみが頭にあった。

兎も角、縁者は縁戚の中では余り良いようには聞こえていなかった。

乱世の真っ只中とはいえ それなりの決まりごとはあった。

この縁者には、この決まりごとは笑止とばかりに通じなかった。

しかし、かといって取り立てて悪口を浴びせる者もいなかった。

戦乱の世が百年有余も打ち続くと道徳だ、自由だなどというものとは縁遠くなってしまう。

“良心とか秩序”というものには、ついぞ御目にかかったことがないのである。

強い者が克つ。之を否定するには眼の前の現実を否定する必要があった。

人間の感受性は“先祖がえり“という動物本能に回帰することで、一層研ぎ澄まされるようである。乱暴・狼藉・乗っ取りは日常茶飯事だったのである。それが常識のご時世だったのである。驚くことに、時日が流れて再び感受性を取り戻す。人間の性であろうか。

時代の新進の寵児には、下克上を何故に否定するのかわからないし当然だったのである。

嘗ての権力者のみが“良心・秩序”というものを回顧し、一つの美学にまで仕立て上げる。

しかし、虎之助はこのような整然とした思案に明け暮れていたのではない。

ただ、明日すら知れぬ身上を“昔は良かった”という言葉を縁にして生きていた。

吾が加藤家は権中納言忠家の末裔で、忠家の子正家が民間に下って武士となった。

今は浮浪の身ながら代々の武家の出身であった。没落していく斜陽の人々に往々にみられるが。心情としては、往時の権力者のこのような爛れた美学に浸っていたと言ってよい。

父の代で、戦場で負った傷が元で奉公も侭ならず帰農するに至った。

このような事情のある家は多かった。縁者の家も、この端くれに入ってはいた。

しかし、にわか仕立ての足軽で武家とは名ばかりであった。

加藤家とは母方同士の縁戚で繋がっていた。

虎之助の母は、加藤清忠が尾張国愛知郡中村に帰農した折に縁づいたのである。

帰農したばかりにて、これといって加藤家に嫁ぐものはいなかったとも聞く。

従って、加藤家から見れば縁者の家は士分の出とも思っていなかった。

彼の縁者とはその継父の葬儀の折に会ったのが初めで終わりであったように思う。

葬儀の中でも、彼の縁者らは顔容・立ち居振る舞いが際立って粗雑に感じた。

しかし、一等見劣りはしたが妙にまばゆく見える家族だった。

理屈抜きに、幼心にも親しみを覚えていた。顔かたちは、記憶になかった。 

幼少の頃合いにて全てが朧だったのである。

その縁者が、律義に生きてきた母の心底を揺さぶる程の大身に立身されたそうである。             

 

母は縁者を訪ねる道中しきりに聞かせてくれた。

「今を時めく信長公が再三の上洛の要請に応えられない越前の朝倉様をお攻めになった折、公最愛の妹君のお市さまが嫁いでいる近江の浅井様が背後からお攻めになった。朝倉勢と浅井勢の前後からの挟み撃ちに相成り申したそうな。もはや之までと信長公は、お覚悟なされた。そのとき、”単騎お落ちあれ、殿がり あい勤めまする”と、縁者は進言なされた。立派にお戦いなされ、遂には浅井様の要害堅固な小谷城をもお落としになったそうな。」

母の話にはでなかったが、外に墨俣城の一件を始め数々の武勲・武功を挙げられていた。

母は然程の仔細は承知していなかったようである。

「信長公の覚え目出度く浅井様所領十八万石を縁者に下された。こののち小谷は先々の治政に不向きの地にて、縁者は今浜に新しくお城を築かれる。」

のちのちになって分かったことではあるが、信長公がお考えになっていることや為されようとしている事を、逸早く縁者は読み取っておられたようである。

学校のような特別な教育の場はない。しかも書物に接することすらない縁者である。

信長公が最良の手本であり、何よりも縁者には貪欲なほどに学習意欲があったとみえる。

その学習は目で見て肌で感じて、間髪入れず迷うことなく行動に移すことであった。

縁者は、迷う事も無く簡単に小谷をお捨てになった。しっかりと、信長公の稲葉城でのお仕置きを目に焼き付けていたと見える。信長公は、美濃の国に岐阜という新しき名を齎された。縁者は見聞きしていたことを速やかに行動に移されたと言っても過言ではあるまい。既存のものには、この縁者にも執着心が皆無に近かったようだ。機を見るに敏であった。小谷のある近江地方は平安朝の昔から行商人が往来し商いが発達している。近くに京都という大消費地があることに加えて、日本で最も豊富な物資の輸送路である琵琶湖があった。

今浜は、賑わいのある楽市楽座に格好の立地だったのである。古城跡という要害もあった。

縁者は目聡くこの利点を看取し、当時は未だ漁村であった今浜を活用したのである。

今浜の名も長浜とお変えになった。信長公の御一字を戴いたのである。それに先立ち苗字をも改められた。先輩格の柴田勝家様・丹波長秀様から御名を頂戴して羽柴と名乗られた。

“米五郎左・掛かれ柴田”の異名を持つ織田家宿将の性格をよくみておられたようである。

“木綿藤吉”とその派手な活躍ぶりは巷に喧伝されていた。一方で、暗雲も漂っていた。

目覚しい立身出世に対する周囲の嫉視への気配りが暗にあったそうである。

武功に走るのみならず、四方に目を配り時流もまた摂取されていたのである。

この縁者は、尾張に生を享け近江を飛躍台の足掛りにされたのである。

「信長公は”流石じゃ、築城許す”と申されたそうじゃ。今からその城の主に会いに行く。

なあに心配はいらぬ。主の母おなかさんは、この母といとこの間柄だでな。

おなかさんのお子ならば縁者を粗末にする筈がない。おまえのふたいとこでもある。

おなかさんからも縁者の嫁のねねさんからも、”早う会いたい”と便りがあった」

おなかさんの人柄の良さを一頻り聞かされた。

貧相とともに人柄の良さを縁者は母から貰い受けていたようである。

風変わりな縁者も母のおなかさんを殊の外、大切にしているようである。

生さぬ仲であった継父の子である異父の弟御も引取り重用なさっている事も知った。

この種違いの弟は穏やかな性情で、顔はふっくらとしていて可愛い顔立ちだった。

ただ、人を憎めぬ、人を包み込む笑顔を絶やさない性格は同じ腹からでた兄弟を思わせた。

生業である農作業に勤しんでいた。そこえ、従者を従えた騎馬武者がやってきた。西洋のサンチョ・パンサを引き連れたドン・キホーテにそっくりである。粗末な鞍をおき馬は農耕馬である。乗っているのは貧相な小男である。夜盗に入り混じっているとか高野聖の真似事をしているとか噂に聞いていた兄に相違ないと、弟は思った。腹違いのこの兄は、まるで今まで一緒に住んでいたかのように振舞った。しかし、思案あってのおとないであった。「今は士分である。どうだ、わしについてくるか」 休む間もなく言葉を放ってきた。目もとに人懐っこい笑い皺がよった。似ている。兄弟だと実感した。難なく兄者と呼べた。

この弟御は縁者の贔屓であったが、当初は母のおなかさんは この縁者の元に行くのには

嘆かれたという。縁者も心の中では分かっていたであろうが、母の気持ちは尋常とは思えないこの縁者には心落ち着くときがなかったのである。幸いにして優しい子に恵まれた。今また最後に残った孝行息子が去ろうとしている。案ずるのは親心というものであろう。縁者は弟を惣領に準じる小一郎と名乗らせた。縁者が与えうる精一杯の配慮であった。

ところでだが、信長公最愛の妹君の婿殿が何故に背後を突かれたのか。

その婿殿を縁者は何故に討ち取ったのか。その辺りが、どうにも解せぬ。

幼心にも、それなりの分別はあった。それにも増して正義感が奮い立った。

母の話を聞きながら、一人か細い知識を手繰った。胸騒ぎがする。

縁者との中で“おかしい”という感情を抱いたのは、この時が最後になる。

この最後の感情に代わって芽生えた感情に釣られて半生を駆け抜ける。

これから訪ねる縁者のえも言われぬ魅惑の虜になっていく。

人誑し、の徒名をもつ縁者との出会いが目前である。

いままでに、縷々と述べ立てたのは聞きかじりの話である。

確かに言えることは、この虎之助には燦然と輝く太陽を見ているようであった。

虎之助の目の前に大きな城が見えてきた。

 

「只今まいった!」 大音声が聞こえてきた

家中が俄かに騒々しくなり、程なく水を打ったかのように静まりかえった。

「何用でござるかえ」

縁者は、突然に母のすまいに呼び出されたようである。この大きなお城の主が呼び出されたのである。驚きであった。しかし、この縁者母子には何の抵抗も無く、ごく自然のようであった。城主が、一言で多忙を割いて足を運ぶのである。之が当たり前なのであった。

「珍しい方がおみえですよ」妻のねねが、おなかさんに代わって答えた。

「お前も来ていたのか・・・・」

「藤吉郎、いとこの藪下の加藤おばさんが訪ねてみえた。となりはお子の虎之助だがな」

「藪下の加藤おばさんですかや。いや~なつかしいですのう。まあまあ、お手を上げら

れよ」 最初に聞いた大音声とは打って変わった心の篭もった優しい言葉である。

「大層なご出世をなされて嬉しゅうございます」

「ながらくの母一人子一人、さぞ難儀なことも」

話が進むうち、誰からともなく目頭を押さえ涙声になっていた。

「ありがとうございます」 母子は、ただただ平伏するばかりであった。

この広い城下の主が、共に涙に咽んでいる。虎之助の頭の中は真っ白になった。

この縁者は心の底から涙を流している。親類筋とはいえ何等の義理立てもない。

たとえ義理があったとしても、忖度するご時世ではなかった。

胸に迫る涙である。茨を掻き分けてきた痛さを知った涙である。

虎之助は、恐る恐る目を上げてみた。

目と目があった。優しい。一方で顔一帯は貧相であるが強い眼差しがある。

相手の心の底までを射抜かんばかりの眼光である。

その鋭い眼光を押し隠す程に和やかに包み込む”何か”があった。

この方は、御仏か・・・・・。虎之助は感激した。          

うらぶれた母子二人に、情けをかけられている。憐れみではない。

しかも、何等の驕り高ぶった風情は見られない。

「まずは ゆるりと休まれよ」

心の底から滲み出る声音であった。虎之助は戸惑った。

自分の身上を世が世ならば、と絶えず聞かされいつの間にか自分もそう思っていた。

朝夕の南無妙法蓮華経の読経が慰安のひとときであった。

そして、それを母子の杖とも頼み夜露を耐えてきた。

言辞を弄してはいたが、何のあてもない世渡りであった。

目の前にいる人は、今迄の考えに最も縁遠い人であった。

しかし、目の前の人は過去に何ら拘泥している風情はみえない。

このみすぼらしい母子への慈しみは、今はの感情の流れとは見えなかった。

この人間の面体から少し距離を置いている縁者の顔に快心の笑みが浮かんだ。

この笑みが異常な程に互いの心の臓に共鳴し合った。妙なほどに親愛感が沸いた。

縁戚の間柄とは申せ、長らく音信の途絶えていた仲である。

勝手に訪ねてきた相手を丁重にもてなしている。

一国一城の主という接し方ではない。不思議である。

親類縁者に、かような方がいるとは思いだにしなかった。

奥方のねね様も、終始にこやかで笑顔が絶えない。

縁者には不釣合いな程に、見目麗しい。そして、聡く見える。

聞きかじりの言葉だが、“京女に東男”という言葉が似合う。

縁者に劣らぬ陽気な性格のようで、しかも容体ぶらず、いささかも権柄ぶった

ところがない。外見とは裏腹に、似たもの夫婦そのものである。

信長公も一目置かれているという噂も道理である。

婚儀の折には嫁入り衣装にと意表を衝く贈り物を頂戴したと聞く。

その当時、縁者には家産と思しきものは何もなかったのである。

一段、格上の嫁御だったようである。縁者の面目躍如である。

醜女の深情けばかりが、裏返しの男女の情念の世界ではないようである。

初対面でありながら、母御に似たほのかな慈しみが伝わってきた。

母とは尾張言葉をつかい、女三人揃ってのけぞって笑いあった。

縁者も小躍りするが如く満面に笑みを浮かべている。

いままでの疎遠が嘘のようである。用足しから帰ってきて、前の話の続きの態である。

今となっては、遠い昔話になるが父の清忠の悔やみに足を運べなかった事を侘び、

縁者は父清忠に好感を抱いていたとも聞いた。細かい心遣いである。

このお三方が醸し出す放射は、如何様にも筆舌に尽くし難い。

気持ちも落ち着いて、縁者を具にみた。幼名を“猿”と聞いたが。

たしかに、的を射ているように思えた。

縁者の顔は小さく、両目が大きく顎が下に尖った“武者振り”であった。

笑うと別の顔になった。人の良さそうな小柄な武将が浮かんできた。

この二つの側面を、そして未だ知らない側面を自在に操る異様な武将に見えた。

いずれにしても絵物語にみて思い描いた武者姿とは、すこぶる程遠かった。

血飛沫を浴びながら戦場を駆け巡る勇者の姿は何処にもなかった。

面長の顔と堂々たる体躯の虎之助とは、齢の違いはあるとはいえ見栄えが違った。

逆に、そのことが筑前守となり城持ちの太守である縁者に畏敬の念を深めさせた。

面相が貧弱とは映らず、神々しさとなって跳ね返ってきたのである。

早くに父を亡くした虎之助には父と共にあるように心安らぐ思いがした。

母が「おなかさんの御子ならば」と幾重にも重ねた言葉が脳裡を去来した。

読めた!この虎之助は縁者の御目に適ったのであろうに相違ない。

先刻の縁者の快心の笑みこそが、なによりの証拠である。

一人悦に入った。自分を評価してくれる人物との貴重な出会いである。

慢心であろうか。縁者の立志伝すべてが自分の未来と重なった。

そのような自尊心を擽る“何か”が感じられるのである。

母子は、今浜城の外郭の中に屋敷を貰い受けた。

心憎いばかりの配慮である。相手に一瞬の躊躇いも与えない早業である。

この厚意を有り難く受け取るのが自然の成り行きであった。

何故これほどに親切に、との思いを抱く余地はなかった。

胸に篤いものが込み上げてくる。城中も気味が悪い程に明るい。

全く知らない地に足を踏み入れた心地がした。

日をおいて、始終忙しげな縁者は気軽に声もかけられた。

「虎にはな、爪もあれば牙もある。研いでおくが良い」 縁者は申された。

「励め。ともかく励め」 このようにも申された。走らねばとの思いだけであった。

この縁者には、尤もらしい言葉があった。しかし、なんらの説明も加わらなかった。

全てが形であり、行動に表されていった。目に見えるものが説明に代わった。

この縁者の大きな盤面で香車となり、長じては飛車・角と成って其の比翼を担う事を夢想した。今までに御伽噺でしか知らなかった話が、手の届く身近なものとなってみえた。

母は、ねね様にこの虎之助の養育を託された。母はこの縁者に全てを賭けたのであろうか。

御子がなかったこともあるが、衣のほころびを縫うに至るまでこの虎之助の生活にこまめに気を遣かって戴いた。新しき母というよりも、する事なす事がなべて新鮮であった。

城中は一切合財、前へ前へと全力疾走していた。若者の炎を燃え盛らせるに充分であった。

城下は槌音が響き、他国の人を含め商人・町人の往来で活気が漲っていた。

戦国の世とは思えなかった。

戦国の世の荒波が、寄せ来る津波の前兆の如く静かに今は凪いでいた。